2020年(R2)7月2日(木)2名

箱根湯本~阿弥陀寺~塔の峰~水之尾~風祭のGPS軌跡(クリックで拡大)

箱根湯本から阿弥陀寺まで標高差が約200mで徒歩40~50分かかる。現在、箱根登山線の箱根湯本から強羅方面は不通になっているが、塔ノ沢からでは標高差が約150mで20~30分の距離である。

箱根湯本駅で降りて強羅方面に歩くと直ぐの右手に箱根登山線のガードがある。これをくぐって左折して車道を歩いていく。のっけからの急坂で息が切れる。5分ほど登ると坂道は終わり緩やかになる。

阿弥陀寺入口

しばらく歩いていくとやがて右手に阿弥陀寺入口が出てくる。赤い板に阿弥陀寺と書いてある。その下の板には「阿育王山(アイクオウザン) 塔之峰 阿弥陀寺 琵琶説教 十一時」と書いてある。参道を歩いていくと時折タクシーなども追い越していく。坂道の車道を上っていくと途中で左側から石段の参道と近接するところがある。ここで石段の参道に移ってさらに上る。

阿弥陀寺へ到着直前

歴史を感じさせる古い石段を登っていく。所々に石仏が置かれている。かなり高度を上げたと見えて右側が開けて周囲の山が見えてきた。

石段を登りきると阿弥陀寺に到着した

本堂の前に人だかりがしている。どうやら写真撮影をしているようだ。本堂の屋根の上に沢筋が見える。後から思い返すとあの沢筋を右上の方に登っていったのだった。

阿弥陀寺(あみだじ)

阿弥陀寺

長い石段を登りようやくたどり着いた先が阿弥陀寺(あみだじ)である。境内はそんなに広くはないがアジサイが植えられている。ここは標高300mほどでアジサイはまだ咲いていると予想していたが、わずかに咲き残っているだけだった。11時から琵琶演奏(弾き語り)が始まるのか数名の若い女性や年配の男女などが待っていた。本堂の右手の裏にトイレや住宅(庫裏)があり、塔ノ峰へのハイキングコースはその脇から裏山に入っていく。

阿弥陀寺は1604年(慶長9年)に創建された浄土宗の寺院である。本尊は木造阿弥陀三尊座像(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩:箱根町指定・重要文化財)。開基(寺の土地や資金面などの援助)は、当時、小田原城主の大久保忠隣であった。開山(寺を草創した開祖)は、木食遊行僧(宗派などに属せず各地を遍歴して修行する僧)の弾誓(たんぜい)上人であった。
弾誓上人は1551年(天文20年)尾張の国(愛知県)に生まれる。9歳にして出家し京都において修行を行う。その後佐渡の檀持山、信濃の唐沢山、箱根の塔ノ峰などで独座念仏し修行した。長髪異相の木食上人で多くの寺を開いた。最後の修行地は京都で古知谷 阿弥陀寺を開き、1613年(慶長18年)62歳で死去した。

弾誓上人絵詞伝 塔の峰本「謎の石仏」より

「弾誓上人略伝」には次のような逸話がある。
狩りの為に山に分け入り、思いがけない場所で、怪しげな者を見た小田原城主大久保忠隣は「怪しい奴、打ち殺せ」と家来に命じ、犬をけしかけた。しかし、犬はなぜか襲いかかろうとしない。大久保氏は自ら弓を取って矢を射るが矢は届かない。男は「我は修行聖である」と静かに念仏を続けたので城主は自らの非を悟り、弾誓に帰依して寺地24丁を与えた、という。
釈迦入滅200年後、インドの敬虔な仏教徒であったマウリヤ朝のアショーカ王(阿育王)はインド統一を果たした後、8万余の膨大な数の仏舎利塔をつくり配布したという。弾誓は塔ノ峰の岩屋(洞窟)で6年もの間、一心に念仏を唱える修行を行っていた。ある日、山中で光る土の中から五層の仏舎利塔を発見したという。これが「塔ノ峰」山名の由来となる。なぜ、この山に仏舎利塔があったのかは定かではないが、先人がこの地で修業をして残していたのかも知れない。1604年(慶長9年)弾誓は箱根・塔ノ沢に阿弥陀寺を創建した。その後、本堂横手の山中に石塔が造られると仏舎利塔はその中に納められた。この石塔の「阿育王塔」という名にちなんで阿弥陀寺の山号は阿育王山(アイクオウザン)と呼ばれている。阿育王山を言い換えれば「アショーカ王の山」ということになる。
塔ノ峰山中の洞窟で修行をしていた弾誓が休養のため下山し、立ち寄った早川の河原で温泉を発見した。これがその後、箱根七湯のひとつの塔ノ沢温泉となる。塔ノ沢の地名も石塔の「阿育王塔」にちなむ。
また、この寺には幕末の皇女、和宮(1846~1877)の位牌が祀られている。和宮は療養先の塔ノ沢温泉・環翠楼に逗留中の1877年(明治10年)9月に32歳で死去した。

鎖のある登り(これを過ぎると登山道らしくなる)

本堂の裏手から山に入って行く。まずはストックを取り出して長さを調節した。滑りそうな坂を注意して登ると直ぐに沢筋にでた。沢筋には竹や木の枝など散乱している。連れが辺りの光景を見て怖くなったのか「なにこれ!道があるの?帰ろうよ」と言っている。沢のようなところを渡ると左手に踏み跡が登っているのが見えた。そこを登ると前方に布袋さんの像が岩に置かれている。これはコースの目印だなと思った。その先に鎖の手すりが付いた登っていく道が見えた。そこを登るとようやく登山道らしくなった。前日の名残で風がゴーゴーと音を立てている。

岩屋と塔ノ峰の標識

少し登ると標識が出てきた。左へ行く標識には「岩屋」と書いてある。あとは図のようなものがあり、下の字は読めない。後で調べたらどうやら岩屋は二つあるらしい。最初の岩屋の先には洞窟があるようだ。そこが奥の院なのだ。連れと相談した結果、今回は岩屋に行くのは止めにした。右の塔ノ峰方向に進むことにした。それにしても奥の院までは一般の人は来れない。道が分かりにくいし足元が悪く危険でもある。今のところ寺に予算がなくて安全な道にする余裕がないのだろう。
ここからは尾根を巻くトラバース道になる。ほとんど平坦な山道を15分ほど歩くと尾根の末端に達する。そこからは左に曲がるようにして尾根道の登りになる。周囲は樹木に囲まれて展望は全くない。途中に立派な標識が一か所だけあった。緩やかな登りが25分ほど続くと塔ノ峰山頂に達した。

塔ノ峰山頂

塔ノ峰は約18万年前にできた箱根古期外輪山(明星ヶ岳、明神ヶ岳、丸岳、三国山、大観山、白銀山など)の1峰である。展望はなく地味な山であるため通過点として利用されることが多い。
塔ノ峰山頂は周囲10mほどで東西は少し開け南北は樹木に覆われて展望はない。西の明星が岳方面へ行くと木立の間から展望が少し開けるようだ。日差しがあり暑いので木陰を探して休憩する。平日でもあり「このコースを歩く人はいないだろう」と思っていたが、その通りだった。30分ほど休憩して蝶々が飛び交う山頂を後にした。

塔ノ峰(566m) 古代インドの阿育大王(あしょかだいおう)が、仏舎利(釈迦の遺骨)を安置するために送ったとされる宝塔の一つが、この山で見つかったことから、「塔ノ峰」と名付けられたとされています。江戸時代初期(1604年頃)開かれた阿弥陀寺も、山号を「阿育王山(あいくおうざん)」と称号するように、この故事に由来しています。山頂には戦国時代の大名である小田原北条氏(1495年~1590年)の出城の跡も見られます。(山頂案内板より)

塔ノ峰から下って行くと左側(西)に針葉樹林が出てくる

塔ノ峰山頂の「水之尾 60分」の標識に従い降りていく。明瞭に踏み跡があり藪などはない。しばらくの下りで左側にスギ林のような針葉樹林が出てきた。整然として明るいので間伐などの手入れなどされているのだろう。

針葉樹林帯の登山道を歩く

やがて登山道はスギ林の中を行くようになる。背の高いスギ林の中を細い小道が遠くまで続いている。この辺りは絵にしてもいいような雰囲気のあるところだ。この針葉樹林帯を通る山道がしばらく続く。やがてスギ林も終わり左側に林道が見えてきた。塔ノ峰から標高差260mほどを下ってきた。

登山道(左)から林道に降りたところ(古い標識がある)

林道に降り立つ手前にも古い標識が立てられていた。道路側にも古い標識が立てられているが、小田原や風祭から登る場合は見落しがちだ。ここからは林道歩きとなる。とはいえ樹林にさえぎられて展望はない。幸いなのは日陰が多いので暑さが和らぐことだ。林道と登山道の分岐から約1.2㎞、15分ほど歩くと立派なゲートが見えてきた。ゲートの脇を通り先に進む。ここは分岐になっていて道が左右に伸びている。右の水之尾方向へ進む。直ぐに右側の木立の間から水辺が見えた。濁った大きな水たまりのように見える。これが上水之尾用水溜池で江戸時代の享和年間(1801~1804年)にできた。この水のお陰で水田を開き稲の耕作が可能になった。

林道脇に咲いていたアジサイ(ダンスパーティーという品種)

溜池から少し歩くと周囲が開けてきて左側にアジサイが咲いているところがあった。塔ノ峰から下ってきて見た初めての花といえる。ダンスパーティーはガクアジサイの一種で、両性花(小さなつぶつぶの花)と装飾花(大きな花)が分かれていて見栄えのする姿をしている。このアジサイは加茂花菖蒲園が生み出した品種で2001年に発表された。何代も交配を重ねた結果で、その花びらの姿が踊っているかのように見える。ネーミングも独特で静岡県の加茂花菖蒲園(現 加茂荘花鳥園)の来園者(女性)が命名したようだ。アジサイは和風というイメージを覆した。

林道脇に咲くアジサイ

林道がら海が見えた(このコース初めての眺望)

林道を歩いていくと小田原辺りの海の見えるところがあった。山を歩ていて景色が見えるのやはり嬉しい。

「サンサンヒルズ小田原」手前の車道から石垣山方面の展望

林道が車道に変わりバス停も出てくる。右手(南側)に山が見えてきた。どうやら先日登った石垣山(261m)のようだ。

石垣山と聖岳(標高837m、右端のピーク)

左側に大きな建物が出てきた。バス停が「サンサンヒルズ前」となっている。サンサンヒルズ小田原は小田原競輪に参加する選手や関係者の宿舎として作られた施設のようだ。風祭駅へはこの手前の道を右下に下っていくのだが、見落としてまっすぐ進んでしまった。100mほど進みスマホGPSを見たら間違えているのに気付き引き返す。バス通りの右下の道を下っていくと展望が良くなり、石垣山や聖岳が見えてきた。道なりに700mほど下っていく。突き当りを右折して300mほど歩く。次の十字路を左折すると直ぐに風祭の駅舎が出てきた。

箱根登山線風祭駅

風祭(かざまつり)は日本各地において嵐を鎮めるために催される祭りのことだが、小田原市の風祭の地名については、鎌倉時代に風祭という人物がこの地に住んでいたことに由来するようだ。
風祭駅周辺にある鈴廣のかまぼこ博物館に入ってみた。2階がかまぼこの板絵美術館になっていて多くの作品が展示されていた。

箱根湯本~阿弥陀寺~塔ノ峰~水之尾~風祭のコース断面図

コースタイム 歩行4時間 距離9㎞ 累積の登り637m 下り-698m
箱根登山線箱根湯本駅9:55→10:42阿弥陀寺10:47→11:13トラバース道11:28→11:55塔ノ峰12:25→13:22登山道と林道の分岐→13:39上水之尾用水溜池→14:17サンサンヒルズ小田原→14:39風祭駅

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