2024年(R6)2月12日(月)2名

連れが秦野の白笹稲荷の初午祭に行くというので一緒に行くことにした。
目的はお参りではなく露店での買い物なのだが、ついでに渋沢丘陵も歩いてみよう。

住宅地の所々に梅が咲いている

住宅地の所々に梅が咲いている

白笹稲荷の手前100mほどから露店が並び始める

白笹稲荷の手前100mほどから露店が並び始める

初午(はつうま)は、2月の最初の午の日。稲荷社の祭の日である2月の初午をいう。 明治政府の新暦採用以前は、旧暦で2月最初の午の日に祝っていたが、現在は新暦の2月最初に行うことが多い。 初午祭に初午詣(福詣)する参詣者が訪れ、これを雑節の一つとすることがある。旧暦で行う地域もあり、その場合は新暦の3月となる事もある。

本来は旧暦2月の最初の午の日であるが、現在では新暦2月の最初の午の日とされている。そのため、元々は春先の行事だったのが、冬の一番寒い時期の行事となってしまった。また、2月1日〜3日の節分前から当日にかけての日が「初午」となる場合もある。

2月の2回目の午の日を二の午(にのうま)、3回目を三の午(さんのうま)と言い、これらの日にも祭礼を行う地方や、二の午もしくは三の午にのみ祭礼を行う地方もある。

※午(うま、ご)は、十二支のひとつ。通常十二支の中で第7番目に数えられる。(引用:Wikipedia)

のぼりをあげる露店が続く

のぼりをあげる露店が続く

参拝する人でごった返す白笹稲荷神社本殿前

参拝する人でごった返す白笹稲荷神社本殿前

白笹稲荷神社の由来
創建の年代については詳らかでありませんが、この地先住の古代水田農耕民族は、その水田耕作に不可欠の水源に、また人間の生存の礎となる衣食住の源としての「水源(みなもと)」に、清らかに神奈備を覚出しました。 「宇迦之御霊」と仰ぐ稲魂・穀霊を祀り、「保食神」、「生産の神」として信仰し、現・白笹稲荷神社の前身としての白篠稲荷の小祠を祭祀してきました。
 秦野は古代大和豪族・秦氏にゆかりの地であるといい、『風土記』によれば、稲荷信仰を広めたのも秦氏で、秦公(はたのきみ)が山城国に「伊奈利(伊奈里)」を」祭祀したことに始まるといわれています。
 天保12年(1841)に成立した『新編相模風土記』には、「稲荷社 白笹稲荷と号す。祭神蒼稲魂命。例祭二月初午の日。及六月二十八日なり。拝殿あり。老松 園一丈。一株を神木となす。末社 明王権現 子安明神」と記されています。
 江戸時代初頭の頃の奉納物が残存しており、すでに民衆の信仰の篤かったことがうかがわれ、江戸時代中期には正一位の神璽を再祀し、屋敷神として早くも独立し、神社独自の定例の社頭訓話などのあったことも知られています。時代が下っては献詠歌などが定期的におこなわれ、文芸活動なども活発だったことがしのばれ、崇敬者の信仰により支えられて現代に及んでいます。(引用:白笹稲荷神社HP

数十メートル並んで白笹稲荷にお参りする人々

数十メートル並んで白笹稲荷にお参りする人々

渋沢丘陵から雪の残る大山を見る

渋沢丘陵から雪の残る大山を見る

渋沢丘陵からの丹沢。中央が塔ノ岳

渋沢丘陵からの丹沢。中央が塔ノ岳

青空を写す震生湖の湖面

青空を写す震生湖の湖面

芝生広場のテーブルベンチが先客でふさがっていたので湖岸前の石段に座る。白笹稲荷神社境内で買い求めた縁起物の稲荷ずしをいただく。カップ天ぷらうどんはサーモス山専ボトル(900㎖)で熱々のお湯を入れる。カップうどんは一つでは多いので半分づつ分けて食べた。このカップうどんはダシが効いていて「鬼うまい」。今どきだと「めっちゃうまい!」と言うんだろうね。

栃窪付近からの富士山

栃窪付近からの富士山

ヘアピンカーブのショートカット
栃窪へ下る手前から富士山が見える(上の写真)。栃窪へ下っていくと左手に「栃窪スポーツ広場」の標識がある。ここから50メートル先の右側に小道(下図)がある。舗装されたやや急な下りなので雪や氷がある場合は避けたほうがよい。この道を利用すれば歩行時間が7~8分ほど短縮できる。

秦野駅~白笹稲荷~震生湖~栃窪~渋沢駅のGPS軌跡

秦野駅~白笹稲荷~震生湖~栃窪~渋沢駅のGPS軌跡

コースタイム 歩行2時間20分(別途休憩50分)距離7.4km 累積の登り639m、下り-587m
小田急線秦野駅10:34→11:21白笹稲荷神社→11:51震生湖12:24→13:14栃窪→13:44渋沢駅

 

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