2023年(R5)11月19日(日)2名
矢倉沢往還は東海道の脇街道であり江戸時代に整備された。それ以前の平安・鎌倉時代は足柄路や足柄道といわれた。江戸時代に矢倉沢関所が足柄峠の手前(江戸寄り)にできた。そこで矢倉沢往還と呼ばれるようになった。往還と名が付く道は各地にあったが脇街道や脇道ともいわれた。神奈川県南足柄市矢倉沢508に矢倉沢関所跡がある。(画像はクリックで拡大)
かねてより気にかかっていた矢倉沢往還を歩いてきた。穏やかで雲一つない好天気に恵まれた。
鶴巻温泉駅北口へ出て駅前広場の前面道路を右に行く。県道612号に出るので左折する。10分ほど歩くと笠窪バス停が出てくる。次の交差点を左折する。ちょうどこの角が神明神社なのだが高い擁壁があり見えない。住宅地となり歩いて行くと前方に大山の山頂付近が少し見える。250mほど歩くと陸橋状になり下に東名高速道路が走るが遮蔽板で見えない。更に120mほど歩くと少し広い道路に出るので、この道路を左折する。道路の右側は善波川で深い用水路のようになっており綺麗な水が流れている。善波川沿いの家には皇帝ダリヤなどが咲いていて楽しませてくれる。300mほど歩くと橋があり善波川を渡る。次の十字路を左折する。直ぐに橋を渡り更に少し行くと「太郎のちから石」の標識が出てくる。ここを右折して50mほど先の善波川にかかる橋を渡ると「太郎のちから石」がある。
伊勢原市善波の地名は鎌倉時代の武将であった善波太郎重氏に由来しているようだ。善波太郎重氏については存在したことは確かなようだが出自や事跡に不明な部分も多い。善波氏の居館は現在の三嶋神社付近にあったとされているが確かなことは分かっていない。善波太郎にまつわる伝承がいくつかあるが「太郎のちから石」はその一つである。
善波にまつわる地名の由来
善波太郎が弦に水をかけた「弦しめし(湿弦峰)」という場所がある。鈴のついた幡(はた:旗)が北の空から飛んできた。そこで善波太郎という弓の名人が強弓を引いた。幡は射落とされ鈴の落ちた川が「鈴川」になった。また矢の飛んで行った先に「矢崎」という地名がある。幡の落ちたところが「落幡(おちはた)」となる。「落幡」の地名が1955年(昭和30年)以降「鶴巻」に変更された。
落幡神社:神奈川県秦野市鶴巻南二丁目21
三嶋神社:神奈川県伊勢原市善波714
善波川:水源は善波峠付近。伊勢原と秦野の境を流れ鶴巻で大根川に合流。延長3.65km
善波山(名古木浅間山):標高300m、善波峠(196m)と念仏山(357m)の間にある
説明板は風雨に晒されて読めないが実際には次のようである。
太郎のちから石
この石の上部の部分にある
二本の筋状の部分は善波太郎が下駄で力踏した時の
あとと言い伝えられてられています。
太郎の郷づくり協議会
(下駄で石に筋が付くとは?それとも弁慶にあやかって鉄の下駄だったのかな!)
標識のところに戻り直進すれば矢倉沢往還となる。
矢倉沢往還は古来より東海道の本道として足柄路や足柄道などと呼ばれていた。江戸時代には東海道が整備されたため、その脇街道として矢倉沢往還が利用されていた。当時は江戸から大山への参詣が人気となり大山街道、大山道などとも呼ばれた。
現在の国道246号は起点が東京都千代田区、終点が静岡県沼津市で国道1号(旧東海道)に接している。この国道246号沿いにかっての矢倉沢往還があった。矢倉沢往還は江戸の赤坂御門から相模国善波峠(標高約196m)や足柄峠(標高759m)を経て駿河国沼津で東海道に接続していた。現在でもその一部が残っている。
関東ふれあいの道 神奈川県コース ⑨弘法大師と桜のみち(コースに矢倉沢往還が入っている)
矢倉沢往還に入り住宅地から離れ一転して山里の道となる。のっけから「クマ出没注意」の立て看板が出てくる(最近の情報ではこのあたりでクマの痕跡や目撃情報はないようです)。ただ道は簡易舗装がされているので歩きやすい。地元の幼稚園児5,6名と若い女性が二人付き添って歩いていた。歩き出して右側に竹林が出てきた。左側の藪にはカラスウリの赤い実がたくさんぶら下がっている。
4~5分歩くと右側に神代杉の標識が出てきた。しかし周辺は暗い樹林帯で足場が悪いところを下るので行くのはやめた。(10年前だったら間違いなく降りたと思う。今はかなり軟弱になった!)
いせはら文化財サイト 神代杉(じんだいすぎ)市指定文化財 天然記念物 昭和44年2月27日指定
大住台地区の宅地造成(土地区画整理事業)の際、善波川の改修が行われ、河床から大木が数多く掘り起こされました。こうした地中に埋もれ、腐らずに残った木を古来「神代杉」と呼んできました。年代を知る方法が無く、「とても古い時代の木」といった意味合いで付けられた名称であると思います。
科学的な年代測定や何の木なのか、杉だけなのかといった調査は行っていませんが、旧石器時代(1万数千年以前)に埋没した木として天然記念物に指定されました。(引用抜粋)
更に少し行くと左手に夜泣き石が出てきた。どこにでもある普通の岩だ。昔の旅は大変だったので各地に似たような夜泣き石の伝承が残っている。
夜泣石
旅人が、この石 のあたりで、誰助けるともなく、倒れておりました。
それ以来、夜中にここを通るとこの石のあたりから、助けを求めるような声が聞こえたと言い伝えられています。
太郎の郷づくり協議会
夜泣き石は夜になると泣き声が聞こえるなどの伝承や伝説をもつ石。特に東海道の小夜中山(静岡県掛川市)のものが有名である。
夜泣き石や馬頭観音らしき石を眺めながら歩いていく。
(昔はこんなところで病気になったら悲惨だった。旅での野垂れ死は珍しくなかった!)
途中からは北方向が開けて丹沢の聖峰方面手前の低山が見えてくる。
小さなミカン畑や鬱蒼とした竹林を過ぎて明るい里山のようなところも出てくる。
道は一か所少し折れ曲がって民家の脇を行くようなところがある。
(※注意:写真の民家ではなく、標識の先の左側にある民家の脇を左折する)
民家のところから5分ほど進むと国道246号への分岐が出てくる。
右の標識は「関東ふれあいの道 国道246号」とある。
左の立札は「この農道は この先 通り抜けできません ハイキングコースは右折 伊勢原市」とある。
ここからは下記の三つのルートがある。
1)関東ふれあいの道:ここを右折して国道246号に出て左折し新善波トンネルを抜けて左折する。
2)ここを右折して国道246号に出たら左折して次を左折すると旧善波トンネルへ行ける。
3)この分岐を直進し行き止まりを右折すると(ラブ)ホテル街から旧善波トンネルへ行ける。
時間にして3分程の差しかないので2)の国道246号からのルートをおすすめしたい。
善波峠短縮のための道路トンネルとして1928年(昭和3年)に善波隧道(ぜんばずいどう)が、1963年(昭和38年)8月に新善波隧道(しんぜんばずいどう)が開通した。善波隧道(旧善波トンネル)は、国道246号の旧道にある全長158mのトンネルである。幅員は5.5m、高さは3.7mである。この旧善波トンネルの上に本来の善波峠がある。(下記参照)
秦野観光スポット情報 善波峠【ぜんばとうげ】(所在地:伊勢原市善波1455)
善波峠は秦野市と伊勢原市の境にあり、矢倉沢往還が通っていました。
矢倉沢往還は、東京都港区の赤坂御門から川崎、厚木、伊勢原を経て秦野に入り、曽屋、千村を経て矢倉沢の関所を越え、静岡県沼津市にいたる道のことです。
参勤交代でにぎわう東海道の脇街道で、物資の輸送や富士・大山への参詣路として多くの人に利用されました。
切り通しには6基の石仏があります。その中に1802年(享和2年)の聖徳太子等があります。聖徳太子像が刻まれた石塔は市内でもめずらしいものです。昭和初期に善波隧道が完成するまで、この峠道が利用されていました。
旧善波トンネルを抜けて歩いていくと、展望が開けて丹沢や富士山が見える場所もある。
ジンギスカン、レストランの木里館は評判が良いとみえて女性達が数人順番待ちをしていた。(野菜の無人販売もあったのでキーウイを買った)
めんようの里の羊は2019年に放牧を終了したので羊を見ることはできない。今は使われていない古い羊小屋を見ながら弘法山公園へと向かった。
秦野観光スポット情報 弘法山公園【こうぼうやまこうえん】(所在地:秦野市曽屋及び南矢名)
浅間山(せんげんやま)、権現山(ごんげんやま)、弘法山(こうぼうやま)の3つの山一帯を弘法山公園と呼び、県立自然公園にも指定されています。春には、園内にある1400本以上の桜が咲き誇り、桜の名所としても有名で、平成6年度には「かながわの花の名所100選」に選ばれています。他にも夏のアジサイ、ヤマユリ、秋の紅葉など、四季折々の美しさがあり、ハイキングや散策に最適です。
権現山の山頂にある展望台付近や浅間山、クリーンセンターから権現山方向へ進んだ先の外周道路との合流点などからは、富士山が一望でき、秦野市内屈指の富士山ビューポイントとなっています。
公園内には権現山山頂に野鳥の観察施設であるバードサンクチュアリ、弘法山の山頂に鐘つき堂、乳の井戸、大師堂などがあります。
(相模湾が見えるベンチが空いており、ここで休憩し食事をした。今日は時間にゆとりがあるので久しぶりにバーナーセットを持参した。バーナー、ガスボンベ、コッヘル、食器、ステンレスボトルなどを持参。いつもはステンレスボトルにお湯を入れて済ませている。こんなこと10数年ぶりだろうか?野菜や鶏団子とワンタンでお湯から作ったので短時間でできた。やはり手間ががかかるけど旨かった!)
(ポリタンクで水を汲んでいる人がいた。駐車場がないので奥さんの運転で車が待機していた。水を飲んでみたらまろやかな感じだった!)
(今回は室川沿いに来たが、弘法の清水を見るには水無川沿いからのほうがよさそう!)
秦野観光スポット情報 弘法の清水【こうぼうのしみず】(所在地:秦野市大秦町1-31)
秦野市内には、湧水が多く見られ、その水は古代から人々の暮らしに利用されてきました。1985年(昭和60年)には、秦野盆地湧水群が環境庁により「全国名水100選」に選定された。湧水群の中で特に有名なのが、伝説の残るこの弘法の清水です。
年間を通して、水温は16℃前後、水量は日量100トン前後で安定しています。
また、井戸の形が臼に似ているので、臼井戸(うすいど)と呼び小字名(こあざめい)にもなっています。
近くに駐車場はありませんので、車でのご利用はご遠慮ください。
「弘法の清水」の伝説
ある夏の日のこと、一人の旅の僧が水を恵んでもらおうと、ある農家を訪れましたが、その家には水がありませんでした。
「ちょっと待って下さい。」と外に出た娘はなかなか帰ってきません。水を求めて遠くまで行ったのでした。
僧は大変感謝し、持っていた杖を地面につくと、そこから水が湧き出てきました。後になって、旅の僧が、弘法大師とわかり、この井戸を弘法の清水と呼ぶようになりました
コースタイム
歩行3時間30分(別途休憩他1時間40分)距離10.2㎞ 累積の登り425m、下り-348m
小田急線鶴巻温泉駅9:20→太郎のちから石9:55→国道246号分岐10:40→旧善波トンネル10:50→木里館前11:25→11:50相模湾展望ベンチ(休憩)12:38→12:45権現山展望台13:00→浅間山13:30→弘法山公園入口13:47→弘法の清水14:22→秦野駅14:30
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