2023年(R5)4月11日(火)2名
丹沢山地最南部の山である松田山(まつだやま)は神奈川県足柄上郡松田町と山北町にまたがる山である(ほとんどが松田町にある)。小田急線新松田駅およびJR御殿場線松田駅の直ぐ北に位置しており、北西から南東に3kmほどの長い台形状の山である。ゴルフ場の西側の池の近くの最高地点は568mであった。ゴルフ場となって地形が変わったためか現在この表示はない。松田山山頂一帯はチェックメイトカントリークラブ(1983年:昭和58年にオープン)のゴルフ場となっている。ゴルフ場の西端から直ぐ西側の南斜面に最明寺史跡公園がある。公園内には池がありこの辺りで標高460mほどである。池の周辺は盆地状の斜面となっていて桜などの樹木が植えられている。
また新松田駅、松田駅からほど近い松田山の南斜面には西平畑公園(自然館、子ども館、ふるさと鉄道、河津桜の松田山ハーブガーデンなど)が設けられている。近年はコキアの里もオープンしており、これらの施設を含む全体を松田山と呼んでいる訳である。
かねてよりチェックメイトゴルフ場の前面道路から最明寺史跡公園に歩いて行きたいと思っていた。あぐりパーク嵯峨山苑前からの直登ルートは少し登られているようだが状況がよくつかめない。もう一つのルートは新松田駅から国道246号線を経てゴルフ場に向かう車道である。この場合は新松田駅からゴルフ場の池の地点まで徒歩2時間程度かかる(距離5.7km・標高差425m)。山道ならば歩いてもいいのだが車道を歩くのは避けたいのでタクシーを使うことにした。
新松田駅前からタクシーに乗り国道246号から分かれゴルフ場への車道を登っていく。直ぐ右手に渋沢丘陵の頭高山(ずっこうさん)が見えてきた。蛇行した車道を登りきると緩やかになりチェックメイトカントリークラブのゴルフ場が出てきた。ゴルフ場内に池がありその前の道路で降ろしてもらう。ゴルフ場では数人のゴルファーがクラブを振るっているのが見える。丹沢の展望が良いがフェンス越しであるのが残念だ。
池の前から最明寺史跡公園方向の西に400mほど歩くとゴルフ場の正門がある。そして真正面にとんがり屋根のある洋風建築のクラブハウスが見える。渋沢丘陵からも八国見山からもこの特徴的なとんがり屋根の建物がよく見えるのだ。
ゴルフ場の正門から10分ほど歩くと尾根上の突端に出る感じで樹木がなくなり展望が開けてくる。道路の周辺には菜の花が咲き、箱根の山々(左から明神ヶ岳・金時山・矢倉岳・鷹落場)や雪を頂いた富士山が見えてくる。眼下には南足柄市の市街や酒匂川がゆるやかな弧を描いている。
JR御殿場線山北駅の東1.5kmほどに小高い山がある。標高252mの丸山である。この山頂部にあるのが株式会社トヤマの本社工場なのである。1974年(昭和49年)三井造船が研修センター等を設けるために山北町岸の丸山地区の用地を取得した。しかし、それ以来経済不況などもありこの計画は進展しなかった。
それが、山北町の企業誘致の支援などもあり三井造船と株式会社トヤマとの間に土地の賃貸借契約が結ばれた。トヤマは先端科学技術の実験装置メーカーで座間市にある本社工場を移転することになった。そして2015年(平成27年)に株式会社トヤマの新社屋が完成し移転したのである。丸山山頂の社員食堂からは素晴らしい富士山の絶景が見えるそうです。
(以上は、あの白い建物は何だろうと思い興味を持って調べた結果でした)
ゴルフ場の前面道路を歩いてそのまま最明寺史跡公園に到着しても面白味がない。そこで高松山への分岐点から山道を歩いて回り道をして行くことにした。分岐から直ぐに真っ赤に色づいた春モミジが出てきた。その近くには紅紫のミツバツツジも咲いている。更に少し歩いて行くと左へ下る山道が一部崩壊している。ここは滑落しないように注意しながら降りていく。
いつもの年より今年はかなり季節が早いようだ。予想はしていたがやはりレンギョウなどの黄色い花は咲き終わっていた。名残の桜が少しばかり辺りの風景に色を添えていた。
最明寺跡の由来
伊豆山の別当浄蓮上人源延は、夢のお告げを受け、信州善光寺の一光三尊善光寺如来の尊像を模写して越前の仏師海縄にたのんで金銅の仏像を鋳造して承久三年(1221)松田の郷庶子山に安置し、寺を西明寺といった。
源延は源頼朝の重臣加藤左衛門尉実長斎といい、出家して、天台の澄憲の門に学び、のちに伊豆山の別当となって活躍した。第二位覚阿上人円浄の時に最明寺入道北条時頼は、善光寺如来を深く信仰し、寺領一千五百石を寄進したので、この時寺門は隆盛であったと伝える。
応仁・文明の戦乱のため、最明寺は次第に衰えた。文明年間、鎌倉八正寺宮尊賢親王は、弟子の賢昌を住持として寺の復興を計ったが、山道険しく、人ともに困難であるため、寺を金子の郷に移した。
庶子山西明寺の田地は、庶子村の信徒にまもられ、数百年の間、毎年四月十日の施餓鬼会と善光寺如来の戸ごとの巡行供養が行われてきた。
その後、松田町庶子戸主会、現在の庶子自治会が継承して昭和の今日に至っている。
昭和63年10月吉日(松田町教育委員会)
鎌倉時代の承久3年(1221年)、この地に浄蓮上人(源延)が夢のお告げをうけて金銅の仏像を安置したのが西明寺(最明寺)の始まりという。一時は隆盛を極めた寺であるが度重なる戦乱にあって衰え、現在の大井町金子に移されたとか。東寺真言宗 如意山 最明寺 神奈川県足柄上郡大井町金子3315 小田急線新松田駅より徒歩20分 JR御殿場線相模金子駅より徒歩15分
ハーブガーデンへ行く途中の斜面の土手にペラペラヨメナが咲いていた。
数年前に鎌倉や奥多摩でヒメジョオンに似た草丈の低い小さな花が群生しているのを見た。白花の中に薄紅色の花が混じっている。それが非常に印象深く「何という花だろう?」と思っていた。その花が住まいの近所にも咲いていた。調べてみると「ペラペラヨメナ」という名前だった。「ぺらぺら嫁菜」とはいかにも軽々しく見た目と随分違った名前だと思った。
この花は初め園芸用に入ってきたものが野生化して1949年に京都、1952年に金沢で確認された。京都では「葉が薄くてペラペラしており嫁菜に似ている」ので「ペラペラヨメナ」と名がついた。金沢では「ペラペラヒメジョオン:ぺらぺら姫女苑」の名がついた。花の名前は最初に付けられたものに優先権があるために「ペラペラヨメナ」に決まった。別名として「ゲンペイコギク:源平小菊」(花色を源氏の白旗と平家の赤旗に見立てた)、「ムキュウギク:無休菊」(花期が5月から11月と長いため)、メキシコヒナギク(めきしこ雛菊)、学名のエリゲロン(Erigeron)などで呼ばれる。
中央アメリカ原産でアフリカやヨーロッパ、アジアに分布する多年草である。日本では本州の関東以南、四国、九州に帰化植物として分布する。草丈は10~40cmほど、花径1.5~2㎝くらいで花びらの色は白色から薄紅色に変化する。菊の種類は似たものが多く見分けがなかなか難しい。だが「ペラペラヨメナ」は見分けが簡単である。草丈が20~40cmほどで人の足首からすね程度と低く、白色の花に薄紅色の花が混じる。これだけで見分けられる。
コキアの里
見晴らしのいい松田山で、初夏は約8,000株の可憐なネモフィラが爽やかな青色に染め、秋には丸くかわいらしいコキアが赤く園内を染めます。
・ネモフィラ 4月上旬から5月中旬まで
・コキア 令和4年は10月6日~11月6日まで
【電車】西平畑公園まで小田急線「新松田駅」から徒歩25分、JR御殿場線「松田駅」から徒歩20分→西平畑公園内の自然館から徒歩15分
引用:松田町HPよりコキアの里は「松田町の新たな名所になれば」と、松田町で飲食店を経営する飯田さんの想いから、2019年にオープンしました。
入園料は無料で、春先には瑠璃色のネモフィラが、秋には真っ赤なコキアが一面に広がります。コキアは別名「ほうき草」と呼ばれ、ほうきのようにフサフサした丸みのある可愛らしいフォルムが特徴。飯田さんとボランティアの方々によって丁寧に育てられています。天気がいい日は富士山や周辺の山々、眼下には松田町の街並みが望めますよ。
なお、西平畑公園からコキアの里まで歩くときは山道を通るため、歩きやすい靴と服装で行ってくださいね。50mごとに案内板が設置されているので、迷うことなくたどり着けます。ちなみに、山道にはヤマビルが出るので注意しましょう。虫も多いので、虫よけスプレーをしていくと安心です。引用:小田急のくらし
思いもかけずコキアの里で満開のネモフィラを見ることができた。前回ここを歩いたのが河津桜の咲く2019年2月下旬だった。その時はまだコキアの里はオープンしていなかったように思う。ここは富士山も見える好展望地でもある。茶店もあり休憩するには良いところだ。ネモフィラを見てから地元のハッサクを購入しソフトクリームで休憩した。
コースタイム:歩行距離8.7㎞ 歩行時間2時間30分 累積の登り376m 下り776m
新松田駅(タクシー¥2310)9:30~9:50チェックメイトゴルフ場前10:00⇒11:00最明寺史跡公園(休憩60分)12:00⇒コキアの里(休憩20分)⇒ハーブガーデン(休憩10分)⇒(途中で買い物10分)14:10新松田駅
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